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研究棟の廊下は少し寒い。いつも人がせわしく行き交っているが、あまり陽の光が入らない構造だからかもしれない。元アスピオの研究員たちにとっては落ち着く環境だともいえる。
「ふわあ……」
実験室の施錠をして、リタはひとつ大きなあくびをする。このところあまり眠れていなかった。進めている研究が忙しいのもあったが、単純に寝つきが悪く、横になっても目が冴えてしまう日が続いていた。
この前まで滞在していた騎士団・ギルド合同部隊の負傷者たちも、数日間の療養を経てそれぞれ帰還していった。いつもより騒がしかった広間の喧噪もすっかり落ち着いている。
「モルディオ、来客が来てるらしいぞ」
「あたしに?」
「遠目からしか見てないが、黒髪の奴だったな」
礼を言って、早足で入り口へ急ぐ。黒髪、と聞いて反射的に頭をよぎった顔に苦々しい思いが湧き起こる。そんなわけがない。会いに来るはずがない。
あちこちで立ち話をする研究員たちを避けて、辺りを見回す。それらしい人影は見当たらない。外に通じる扉を押し開けると、少しだけしめった風がふわりと吹き込んでくる。薄曇りの昼下がりだった。
「よ、リタ、いきなり悪かったな」
「あんたか……久しぶりね」
柵にもたれかかったユーリが、片手をあげてこちらに合図してくる。
「誰だと思ってたんだ?」
「……べつに、誰でもないけど」
「実験中だって追い返されたから、ここで待ってりゃ来るかと思って。ギルドの仕事のついでで寄ったんだよ。ジュディからリタの様子を見てこいって言われたのもあるけどな」
「ジュディス、忙しいの?」
「このところ、ちょい仕事が立て込んでてな。もうそろそろ落ち着くから、そうしたら会いたいって言ってたぜ。ほら」
小さな紙袋を渡される。促されて開けてみると、焼き菓子を詰め合わせた箱が入っていた。
「ジュディからだ。あんまり無理すんなってさ」
「これ……ダングレストで買ったの?」
「そう聞いてるが、なんで分かった? 知ってる店か?」
リタは首を振った。よくレイヴンが持ってきてくれたのと同じものだった。ずいぶん長いこと食べていなかった。
「あたしは直接行ったことないけど、食べたことあっただけ……好きな味だったから、また食べたかったの。お礼、言っといて」
「了解」
「お茶でも飲む? 大したものは出ないけど」
「いいよ、それ届けに来ただけだし……いや、でもせっかくだし、ちょっと話でもするか。ジュディへの土産話も持って帰らないといけねえし」
「土産話って、何話すつもりよ」
「お前のこと、なんだかんだ心配してたからな、いろいろと」
そんなことを話しながら歩き始める。リタの小屋は、連日の寝不足や報告書三昧のせいで、とても人を招いて茶を飲める場所などなかったので、研究棟の裏庭に行くことにした。裏庭といえるほど整えられてはいないが、簡素な椅子とテーブルがある。もっとも、ここでのんびりと休憩するような研究員はほとんどおらず、人気のない静かな場所となっている。
「はい、お茶とクッキー」
「なんか、このクッキー変わった匂いだな」
「頭がよく回る成分が配合されてるのよ、この研究所にはそれなりに備蓄されてるわ。それとも、あたしがもらった菓子のほう、食べる?」
「いや、いいよ。それはお前にって話だしな」
ユーリはクッキーをもぐもぐと頬張りはじめる。リタも口にすると、少し固い食感が疲れた頭に刺激を与えてくる。
「見るからに寝てないって感じだけど、忙しいのか?」
「最近ちょっと実験続きだったってだけ。夜は寝るようにしてるけど」
「あんま寝れてねえのか」
「まあ、ね」
リタは草地につま先を擦りつけて答える。目を閉じるといろいろなことが頭を巡ってしまう。どうすればいいのか、どうすればよかったのか、何度も答えを探して自問自答して、そのうちに朝が来てしまう。
――何も知らないから、そんなことが言えるんだ。
結局、あれからレイヴンとは一度も顔を合わせないままだった。程なくして、いつの間にかレイヴンはハルルを発っていた。乱れていた数値が確かに落ち着いたかどうか、再度検診することもできなかった。あんなに声を荒げたレイヴンを見たのは、初めてだった。
リタは激しく後悔した。怯まずに、ちゃんともう一度会いに行くべきだった。自分の感情なんて脇に置いて、とにかく魔導器の様子だけでも確認するべきだった。
けれど、レイヴンはそれを拒否したかもしれない。リタが、何も考えずに自分の都合だけ押しつけてしまったから。
「よく眠れる茶とか、エステルに聞いてくるか」
「前にもらったのがあるし、わりとよく飲んでるわ」
心配そうに腕組みするユーリを見て、リタは顔をそむけて息をつく。心配される側になると、あまり言葉が出てこずにそわそわと話を切り上げたくなってしまう。そんなことはもういいから、と言ってしまいたくなる。
ずっと、そういうことを繰り返してきたのだ。レイヴンがどう思っているのかなんて聞こうとせずに、自分の求める答えを引き出そうとしてきた。心臓魔導器の検診を始めたときもそうだ。そうするのが当然だと、そうしなければいけないと思っていた。
深く息を吸い込んで吐き出す。かすかな花の香りを感じる。立派に広がった枝の向こうに見える空がまぶしい。
「ユーリ……もう、エステルかフレンから、聞いた?」
それだけで、ユーリは察したようで表情を険しくした。
「ああ、アレクセイのことだろ」
「今、おっさんがそばについてるって話も?」
「ちらっと聞いたな。フレンはおっさんの負担を減らそうとしてるみたいだったが、あのおっさんいつの間にかいなくなってて、なかなか上手くいってねえらしい。あいつも立場上ホイホイと病室に近づくわけにはいかねえみたいだし」
「そう……」
ユーリは眉をひそめてリタの顔を見やる。
「おっさんのことが心配で、眠れねえってわけか」
「ばっ……そうじゃないわよ、そうじゃなくって、ただ、あたしが……失敗しただけ」
「失敗?」
目を閉じると、レイヴンのうつむいた暗い表情がよみがえる。思い出すたびに頭の端が焦げつくような痛みが走る。
「レイヴンは、アレクセイがあんな風になったのは、自分のせいだって言ってた。あたしはそんなわけないって、あたしたちにも責任があるって言った。そうしたら……」
ぐっと息をひとつ飲み込んで、言葉を絞り出す。
「あたしにわかるわけないって、そう言われた。何も分からないから言えるんだって……あたしは、あいつだけが思い詰めるのは間違ってると思うし、ちゃんと自分のことも考えてほしかった。でも、どうしたらよかったのか、わかんない」
検診のことなど思い出せないくらい、ずっとアレクセイのことを考え続けているのだろう。自分の体のことなどどうだっていいと思い始めているのかもしれない。今のレイヴンは、アレクセイのためなら自分の命などあっさりと使いつくしてしまいそうに見えた。
「そうか……おっさん、リタにそんなこと言ったんだな」
ユーリは驚いたように目を見開く。
「そうだろうな、何も分かってねえっていうのは、その通りかもな。おっさんがあのアレクセイの近くで何を見てきたのか、オレたちはほとんど知らねえ」
風がびゅうと吹いて、テーブルから飛ばされそうになったクッキーの空袋をユーリは器用につかまえてみせる。
「知らねえから、本当は知ってほしかったんじゃねえか、おまえに」
「どういう、こと?」
空袋を懐にしまい込むと、ユーリは立ち上がって庭を歩き始めた。
「アレクセイと戦う前、レイヴンがアレクセイのことを話そうとしたことがあった。あいつも初めから腐ってたわけじゃなく、騎士団長として重い責任を背負ってたっていうようなことをな」
責任、という言葉に、リタの体は知らずこわばる。
「その話をオレは聞かなかった。聞いたらあいつを斬る剣が鈍るって思ったからだ。けど今になってみたら、あの時きちんと聞いとくべきだったと思う。聞いたうえで、斬らなきゃならなかった」
背を向けたままのユーリの髪が、温い風にたなびく。
「アレクセイがああして生きて帰ってきて、おっさんがそんな風に抱え込んでるのは、それこそオレのせいでもあると思ってる」
「そんなこと」
振り向いたユーリの穏やかな表情で、はっとする。また同じことを繰り返そうとしていた。
「オレにも、オレだけの責任がある。それは誰に何を言われても変わらない。オレ自身が向き合わなくちゃいけねえもんだ」
ユーリの言葉に、リタはぎゅっと拳を握りしめる。どうにもならないもどかしさが胸を埋める。
「おっさんも、そう思ってるってこと?」
「そうかもしれねえし、違うかもしれねえな。だから……分からないといけないのかもな、簡単にできることじゃねえだろうが」
知らないから、分かろうとしたい。そう思っていた。知りようのないことに触れるというのは、いつだって難しく綱渡りの作業だ。分かりたいという気持ちが先走って、本当に知るより前に分かったような気になってしまうのだ。
「わけを聞いたって、アレクセイがやったことはなくならない。けど、それでも知らなきゃいけねえことは、あるのかもな」
ハルルの花びらがひらひらと舞い込んでくる。リタは手のひらに偶然落ちた欠片に目を落とし、ユーリの口にした言葉を胸のうちで繰り返しつづけた。
アレクセイについてリタが知っていることは、ごくわずかだ。リタも知り得ない魔導の知識を持っていたこと。ヘルメス魔導器の一つである心臓魔導器をレイヴンの体に用いたこと。
騎士団長としてアスピオに何度か要請を送ってきたこともあった。けれどよく読まずに断ったのを覚えている。なぜか、城直属の魔導士として帝都に屋敷を用意するからと、移住してくるように勧められたこともあった。当然、これも断った。
今から思えば、アレクセイはリタの能力に目をつけていたのだろうか。もしあのとき誘いを受けていれば、リタもアレクセイの計画に加担することになっていたかもしれない。
――シュヴァーンは空っぽな奴で、何も考えずに任務をやるだけだったのよ。
以前、レイヴンはそんな風にこぼしていた。アレクセイが何をしようとしているのか考えずに、その計画に加担していたこと、最後にその命を救いきれなかったことが、レイヴンにはずっとのし掛かっているのかもしれない。
「よいしょ……っと」
リタは小屋に戻り、本棚の上のほうから紙束を引っぱりだす。長いあいだしまい込んだままだったので、少し埃をかぶっている。魔導器ネットワークについての論考だ。アレクセイの残した研究を元に、リタやウィチルが新たに書き加えたものがまとめられている。
この魔導器ネットワークについての論考がなければ、世界中の魔核を繋ぎあわせて星喰みに対抗するという手段を取ることは難しかった。アレクセイは、自分の手で蘇らせたものが自分の知識を元に打ち砕かれたと知ったら、どう思うだろうか。
やはり、アレクセイの持っていた魔導の知識については疑いようがない。論考を読み返し、改めて確信する。ヘルメス魔導器を多く計画に用いていたこともあって、リタの知らない術式の組み上げ方や、魔核の構造にまで踏み込んでいる。
リタは思い出す。何度かこの手で調整した、今もひとつ残る魔導器のことを。リタは心臓魔導器がいかにして設計されたのか全く知らない。基盤となっている構造も、生命力を巡らせている仕組みについても、どうにか手探りで少しずつ紐解いている状態だ。
レイヴンの検診で毎度調整するたびに、複雑な術式と戦いながら、今の自分の限界を思い知らされた。難解な術式を通して、リタは前調整者の影をずっと感じ続けていた。精密に組み上げられた術式は、知識を持って調整する者がいなければ長年維持できるものではない。
この魔導器は、リタがその存在を知らなかった頃から、十年間もレイヴンの体にあった。そのあいだ、アレクセイが今のリタのように、レイヴンを定期的に診ていたのだろうか。
どんな風に。どんな気持ちで。
リタにとって魔導器はきょうだいのようなものだった。それがほぼすべて失われた今、レイヴンの心臓魔導器は生き別れのただひとりの家族のような、そんないとおしさを覚えている。
そんな感情とともに、失いたくない、生きていてほしい、そう思うのは、リタのきょうだいとともに生きるあの男の存在が、知らないうちに大きく心にあるからなのだろう。
――やっぱり、自分でちゃんと確かめなきゃ。
リタは論考を閉じて立ち上がる。アレクセイがまだ生きているというのなら、確かめなければならない。アレクセイが知っている魔導の知識、心臓魔導器の詳細、それからレイヴンのことも。
死んでしまったのなら、もう永久に話すことはできない。本人だけが知ることは、永久に闇に葬られる。
けれど、まだ生きている。
それなら、できることがあるはずだ。
帝都に張り巡らされた長い階段をのぼりながら、リタは空を仰ぐ。以前に来たときとは少しばかり違う心持ちでいられている。焦りでもなく、苦しさでもなく、ただやらなければという気持ちが全身を動かしている。
前回の訪問で、いきなり訪れてもリタの友人たちに会うのはなかなか難しいということが分かったので、今回はあらかじめ手紙を出しておいた。そのうえ、エステルとフレンの二通を用意し、帝都に直帰するという騎士団の部隊に預けた。これで普通に出すよりは幾分早く届くだろうし、どちらかが手違いで届かなくなっても片方の伝をつけられればそれでいい。友人たちが帝国きっての要人であるせいで、少し手間はかかったが仕方がない。
「エステルかフレンか、どっちかに会いたいんだけど、手が空いてるほうに取り次いでほしいの」
今回は特に研究所から持ってきたものもない。身ひとつで門番に告げると、左右の二人で顔を見合わせて、ひとまず入り口の広間で待つように、と言われる。
「モルディオ殿、こちらへどうぞ」
城内に入って待っていると、恭しい態度の騎士に案内される。城の中は、前回来たときとさほど変わりないように見える。特に騒がしいわけでも静まりかえっているわけでもない。
――アレクセイのことは、今のところ漏れずにいられてるの?
リタがアレクセイの生存を知らされてからひと月ほど経つ。今、アレクセイの容態がどの程度回復に向かっているのかが気になった。レイヴンと何か話はできているのだろうか。最後に会ったレイヴンの様子を見るかぎり、前向きな意思疎通ができているとは考えにくい。
そんなことを考えていると、いつの間にかどんどんと城の奥へ奥へと通されていた。こんな場所までリタが足を踏み入れるのは初めてのような気がする。人気のない廊下を曲がると、角からフレンが顔を出す。
「わっ、びっくりした……」
「すまない、驚かせたね。ありがとう、君は下がっていい。あとは私が」
案内人の騎士はフレンの言葉を受け、敬礼の後すぐに廊下を引き返していく。
「こんなところまで来ちゃったけど、よかったの?」
「気兼ねなく話をするには、人払いされた場所のほうがいいと思ってね。帝都まで足を運んでくれてありがとう。手紙、読んだよ」
フレンの顔がわずかに緊迫した色を見せる。手紙には帝都で話がしたいとだけ簡潔に記した。もし万一手紙が紛失しても構わないようにだ。
「失礼いたします」
フレンが扉を開けると、綺麗に設えられた部屋の中にはヨーデルがいた。ソファから立ち上がってにこりと挨拶をしてくる。
「あんた、なんでこんなところに」
「リタ、陛下と……」
「フレン、かまいません。あなたがエステリーゼとフレンに同じ内容の手紙を送ったとのことだったので、私はエステリーゼの代理だと思ってください。あいにく、彼女はちょうど今日市民街の視察に出ていて」
「そう……おっさんは?」
「レイヴンさんは、ギルド方面の仕事のためにダングレストへ向かったよ。ここしばらくずっと帝都にいらっしゃったから、少しでも気分を変えることになればと」
レイヴンには現在のギルドの情勢調査を任せることにし、しばらく帝都から離れるよう命じたという。それを聞いて、落胆の気持ちよりもほっとした気持ちのほうが大きかった。今日のところは会わずにすむ。今会っても、同じことを言ってしまいそうな気がする。
レイヴンのことは心配だ。心臓魔導器の様子も気になる。けれど、今のリタができることは限られている。レイヴンを案じるなら、あの胸のうちに何を抱えているのか、少しでも近づかなければならなかった。
――このまま、何も知らないままじゃ、いられない……。
ヨーデルはリタとフレンにも腰を下ろすよう促す。リタが送った二通の手紙はどちらも無事届いたようだが、どうやら皇帝陛下が出てくるほどの重大事だと察されているらしい。
「手紙では最低限のことしか書けなかったから、さっさと本題に入るわ。アレクセイに面会させてほしいの。今ってどういう状態なの?」
フレンとヨーデルが顔を見合わせる。リタが何を言うかおおむね予想はついていたのだろう。二人ともがそろって深刻な表情を見せる。ヨーデルのほうが先んじて口を開く。
「アレクセイは、ここに運ばれてきたときよりはいくらか回復してきています。目覚めている時間も増えてきたようです。容態が安定していると見なしたのもあって、レイヴン殿にはしばし帝都を離れていただきました。しかし……このところ、錯乱したような様子を見せることがあるのです」
「錯乱って……暴れるってこと?」
「そういうこともごくたまに出てきています。身体は不自由な状態なので、まださほど大きな問題にはなっていないんですが……おかしなことを口走ると、傍仕えの者から聞いています。『真の改革』、『進むべき覇道』、『世界の支配』など……そのような言葉を誰にともなく語りはじめると」
「まるで、彼が騎士団長として僕らの前で話していたようなことを……いったい……」
フレンは沈痛な面持ちで頭をかかえる。
「怪我で、記憶が混濁してる可能性があるってことなの?」
「そうかもしれませんが、医者も判断を迷っているようです。そうした錯乱状態は時間が経てば収まるのです。ですから、まだアレクセイの状態を断ずるのは待ちたいところなのですが」
「そういうことなんだ……だから、今の状態で君をアレクセイに会わせるのは危険すぎる。また状態が落ち着いたら、必ず連絡をすると約束する」
真剣な表情で、フレンはリタに頭を下げてくる。こうなるだろうことは予想がついていた。けれど想像していたより事態は悪いらしいということが分かった。
「あなたに、私から一つ、聞いてもいいでしょうか」
「……なに?」
「あなたは、なぜアレクセイへの面会を望むのですか? どのような思いや目的があるのか、よければ聞かせてくれませんか」
ヨーデルの真っ向からの質問にリタは思わず目を逸らす。どう考えても、ただの見舞いだと言って通るわけがないだろう。実際に、リタにアレクセイの状態を心から痛ましく思う気持ちがあるかと言われたら、迷いなく頷くのは難しい。彼を案じているのは、自分の目的によるところが大きい。
「アレクセイと……話がしたいの。あたしのこれからの目的と大事なもののために、どうしても確かめなくちゃいけないことがあるの、ただ、それだけ」
そのまま、正直に話した。するとヨーデルはなるほど、と頷き、フレンに目配せをする。
「教えてくださりありがとうございます。代わりというわけではないのですが、私から、あなたに共有しておきたいことがあるのです」
首を傾げるリタに、フレンが頷いてみせる。
「実は……アレクセイが生きているという噂が評議会員の一部の間で流れているらしい。まだ噂程度で済んでいるけど、万一明るみになる前に、こちらから手を打つ必要があるかもしれない」
「しかしこのまま状態が落ち着かず、事態が長引けば、アレクセイの処遇の判断は先送りになるばかりです。その間に噂が噂を呼んで、混乱を招くことは避けたいのです。何より……」
ヨーデルはリタを見つめ、何かを伝えるように目を細める。
「あなたと同じで、私にも目的があるのです。そのために、彼には早く回復してもらいたいと考えています」
「目的って、まさかアレクセイの処遇を、政治的に利用しようってこと?」
「おおむね、その通りですね。あなたが聡明な方なのは存じていたつもりですが、そこまで見通されるとは」
「皇帝が、罪人の処遇について何も考えてないほうがおかしいと思うけど」
苦々しく言うリタに、ヨーデルは眉を下げる。
「私は……評議会の体制を変革したいと考えています。帝国を代表する議員たちが一部の貴族のみで構成されている現状は、これからの帝国の在り方にはそぐわない。平民も議会へと参加し、広い民の声を集める体制を作りたいのです」
「平民も議会に、ね……貴族が好き勝手しにくくなって、いいじゃない」
「賛同くださって嬉しいです。そのために、彼の力を借りたいと思っているのです。彼の知る、評議会の暗部の情報が欲しい。また、彼の知識も今後の帝国に必要なものだと考えています」
「しかしこのままだと、正当な裁きを下すのは難しくなってしまいます。噂が広まり、真実として広がってしまえば、死罪にしろという声も大きくなるかもしれない」
「フレンの言うように……そうした選択肢もあり得ます。このまま彼が危険な言動を繰り返し続けるなら、そちらの正当性も重くなるでしょう。そうなれば、帝国がなした過去の罪として彼を処断する……古い過ちと別れを告げ、新しい時代に進むための禊とする。しかしそれが、本当にこの時代にあって正しいことなのか……もう少し、今の彼を慎重に見つめ、見極めたいのです」
リタは悩むヨーデルを見やりながら、長く息を吐く。アレクセイの状態が回復するのと、アレクセイの噂が広まるのと、どちらが早いか。何にしても刻限は迫っている。
――いろんなことが決まる前に、どうにかして話をしないと……。
アレクセイは錯乱状態にあるというが、まだ医者から何か判断が下ったわけではない。レイヴンが離れたのと入れ違いに錯乱するようになったという話も引っかかっていた。
アレクセイは、レイヴンという存在をちゃんと認識しているのだろうか。もし記憶が混濁しているというのなら、レイヴンに関する記憶も正しいものではないのだろうか。
分からないことだらけだ。やはり、実際に自分の目で確かめなければならない。
何を得るのかは分からない。それでも、知らなければならない。
リタと同じ目的を持っているのかどうかを。