一日動いた日の夜は早いもので、時刻はもう二十三時をまわっていた。PCの電源を落として、真っ暗になった液晶を見つめながらしばらく放心する。
首を後ろに反らすと少し背中が痛むような気がする。今日は小鳥と緑化活動に勤しんだ。緑化活動の中身はほとんど草むしりだった。真逆のことのように思えるが、風祭の緑を守るためには大事な作業だ。それがよく分かった。
つらかったけれど、平気な顔をしている小鳥の隣で弱音は吐けなかった。小鳥がいつも日常的にこなしている仕事くらい、涼しい顔でやってのけたかった。
(でも、今日の俺はおおむねうまくやれたはずだ)
小鳥を追いかけていったときはどうなることかと思った。結果的になんとか許してもらえたからよかったものの、あとを追いかけるだけでも俺には決死の覚悟だった。もう踏み込むなと言われた線を越えたのだから、決定的な拒絶を向けられる可能性だってあった。許されたとき、心の底から安堵した。ジュースくらい何百本でも買ってやりたかった。さすがに何百本はこづかいが足りないかもしれないが。
やっとのことでつかみ取った小鳥との時間は楽しかった。けれど、ずっと一線を引かれているのは変わらない。許されただけで、ちゃんと近づけてはいない。だから、俺はまた越えることを選んだ。今日が終わってまた元の場所に戻ってしまう前に。
――今年の収穫祭はさ、一緒に回らないか?
俺は天を仰いで顔を覆う。あー、と変な声が漏れる。きっとうまく言えたはずだ。タイミングとしてはあそこしかなかった。大丈夫だ。現に、小鳥は曖昧ながらも一応誘いを受けてくれた。あとは当日まで小鳥の前で致命的な失態を見せないように気をつけなければならない。
「収穫祭、どこ行こうかな……」
誰かと収穫祭を回るのは初めてだ。一緒に回れるような関係を作ってこなかった。だから自然と心は浮き立った。
(というか、収穫祭毎年やってんのに、なんでもっと早く小鳥を誘わなかったんだ……?)
ふと疑問が浮かぶ。幼なじみなら一緒に行く機会はいくらでもあったはずなのに。病気のせいで忘れているのかと思ったが、俺の記憶を辿っても小鳥の様子からしても、俺たちが二人で収穫祭に行ったことはない。
何はともあれ決死の覚悟は一応報われたのだ。疲れの残る体をベッドに沈める。手足は少し重くても心は軽い。枕元に置いていた携帯に指先が触れる。小鳥はもう寝ただろうか。ふと電話をかけようとして、やめた。今日はもう十分だ。これ以上を望んではいけない。
(焦るな……俺)
告白して玉砕してから数年間、ずっと曖昧な距離感で耐えてきた。やっと踏み込めたこの一歩を大事にしなければならない。
きっと、俺は小鳥のやさしさにつけ込んでいる。自覚はあった。でももし小鳥がいなくなったら、俺は誰とも本音の付き合いができなくなる。
じゃあ、他の誰かと本音の付き合いができるようになればいいのか?
答えはノーだ。そもそも幼い頃からずっと近くにいたのに、今さら小鳥がいなくなるなんて考えられなかった。想像するだけで腹の底が冷たくなる。代わりに、小鳥が俺の前で笑ってくれると嬉しくなる。心があたたまる。俺にとって決して失いがたい存在なのだ。
(これが恋じゃなかったら、なんなんだ)
そうは言っても、小鳥は俺に本音を見せてはいない。いつもはぐらかされたり誤魔化されたりばかりいる。けれど拒絶じゃない。俺のことは憎からず思ってくれていると思う。そう、むしろ小鳥にとって俺は一番近しい存在のはずなのに。
天井に向かって手を伸ばす。白い電灯が手のひらの向こうでぼやける。小鳥のそばにいられる人間として、俺が本音を聞かせてもらえる存在になればいい。ここまで来られたのだから目指せるはずだ。今日の成果があったから、多少前向きに考えられる気がした。
目を閉じて、微睡みをたぐり寄せる。今日見た剥き出しの緑の光景が、小鳥の微笑みが、巡っては暗闇の狭間に消えていく。
――逃げてばかりですね。
遠く、誰かの声が聞こえた。つめたくて鋭くて、懐かしい響きだった。
(ちがう、足掻いてみせるんだ)
逃げて、時間を無駄にするようなことはもうしない。俺は選んだのだ。俺の求めるものを探す旅を。
声は、納得しかねるようにそこにわだかまっていたが、やがて何事もなかったかのように、跡形もなく消えていった。