万物は流転する――本の一節からふとつぶやいたその声がしんと空気に溶ける。ようやく読み終わった本からリタが顔を上げると、窓の外にはわずかに傾きはじめた陽が見える。
窓際に近づいてあまり綺麗ではない窓ガラスに触れてみる。誰かを思い出すようなつめたさが伝わる。触れているとだんだん体が冷えていくような気がする。重いカーテンをのろのろと引けばさっきより部屋は一段暗くなる。
夕方の物理準備室をリタは一人で過ごしていた。いつもいる人間がいないのは自由気ままなようで、違和感がぬぐえない。放課後をかけて読み通そうと思っていた本も早々に読み終わってしまって、リタは窓のすぐそばのソファに腰をおろした。
「はあ」
三日間の出張だと聞いていた。今日で三日目だが、今日中には学園に戻れないときのう連絡があった。違和感にも三日も経てば慣れてくる。ふだんならいつの間にか過ぎているような日数なのに、やけに長く感じた。この部屋には初めからリタしかいなかったのでは、そんな馬鹿げた想像が退屈のあいまにやってくる。
近くのハンガーラックにかけてある一枚の白衣が目に入る。たぐり寄せて、触れてみる。さらさらと冷たい布地からかすかに落ち着く匂いを感じる。顔をうずめると、声が聞こえてくるような気がした。
――ほら、リタっち。
リタは白衣を手に取ると、ソファに座って自分の体を正面から覆うように被せた。いつもこのソファで、あたたかい腕がリタを包んで、つめたい手がリタの体に触れる。
知らずのうちに、リタの手はセーラー服の中にもぐりこんでいた。薄いブラジャーの上から質量のない自分の胸に触れる。やわやわと撫でるだけではもどかしくて、思い切って取り去ってしまう。その拍子に指先がちょんと先端に当たったとき、ぴくんと体が震えた。
――もうかたくなってる。
そっとつまんで動かしてみると、息がもれる。両方ともくりくりといじってみると声が出る。
「あ、ん、ああ」
甘い感覚が体を駆け抜ける。ずり落ちそうになった白衣を慌てて引き寄せる。いつもいろいろな触りかたをされる。
面白くないくせに、と言うと、面白いよ、とリタの顔を見て笑う。
足のあいだがじんじんと痺れてくる。スカートの中に手を伸ばすと、下着の布地はもうすっかり湿っていた。指を這わせるだけでぶるぶると震えがおきる。くちゅりと自分の指でも音が鳴るのにおどろいた。ぬるつきを広げるたびあふれてくるので少し怖くなる。
――どんどんあふれてくる。気持ちいい?
リタは足をソファの上に乗せて、あふれてくる液体をさらに三本の指でうけとめる。そのまま指をすべらせて、突起にぬりつける。
「あああっ」
電流のような鮮烈な感覚がびりびりと走り抜ける。いつもそうされていたように、同じ動きをくりかえす。
「あっ、ああ、ん、は、はあっ……」
かぶった白衣に顔を押しつけながら、びくびくと体を震わせる。どこからか笛の音が聞こえる。体のうちから熱がうまれてリタをのみこんでいく。流される。気持ちがいい。
目を閉じるとリタを見つめてほほえむ顔が浮かぶ。もっと、そう切れ切れの声で求める。表情は変わらない。
リタは、指の動きを止めて息を吐く。体は熱いのに、ひどく寒かった。白衣をぐしゃぐしゃにして抱きしめる。
「ばかみたい……」
濡れた自分の指をみつめる。記憶だけではどうにもならない。同じようにできない。それは当たり前のことで、けれど悲しかった。
「あれ? リタっちいる?」
ガラッと扉を開ける音がして、リタは飛び上がる勢いで驚いた。入り口からは棚の陰に隠れてソファが見えない。けれど乱れた衣服と被った白衣を今すぐにどうすればいいのか分からなかった。そうしているうちに訪問者は部屋の中へと入ってくる。
「リタ……っち?」
ソファで白衣を被って震えているリタを見て、レイヴンは目を丸くした。状況がのみこめないという顔だ。
「あ、あんたなんでここにいんのよ! サボり? サボって帰ってきたの?」
「いやいや、予定より早く帰れることになったし、学園寄ってこうと思って……」
「それならそうと連絡しなさいよ! いきなり入ってくるから誰かと思ったじゃない!」
「ああ……ノックくらいすればよかったかね……ところでさ……」
レイヴンは気まずそうに頭をかく。
「なに……してたの?」
今すぐ白衣を投げ捨てたかった。けれどそうしたら乱れた衣服と取ったブラジャーが見えてしまう。けれどこんな風に白衣をぎゅっと引き寄せたままだと逆効果だ。どうやって誤魔化せばいいのかさっぱり思いつかず、視線をうろうろとさまよわせることしかできない。
「ちょっと、あっちいって」
「そんな虫みたいに」
「み、みないでよ、あっちいってったら」
リタが追い払うポーズをしてもレイヴンは動かなかった。じっとこちらを見つめてくる。
「そんなに、おっさんがいなくてさみしかった?」
声色を少し変えて、ゆっくりと近づいてくる。
「ちが、ちがうわよ、こないで」
「さみしかった?」
レイヴンはもう一度そう聞いて、ソファに座り込んだままのリタを抱きしめた。腕を回されて、ぬくもりが伝わる。あたたかくて落ち着く匂いがする。たちまちいっぱいになる。ざらざらとしたジャケットの感触が頬を擦る。
「……さみしいとかじゃない」
「ちがうの?」
リタは首を振って、レイヴンの顔を間近でみつめる。唇が重なる。軽く触れあって、だんだん深いくちづけに変わる。ほしい。それだけで体じゅうがいっぱいになる。いつもほしがってばかりいる。けれどいつも、レイヴンはそれをたやすくくれる。
「それ、あげようか」
膝の上でしわくちゃになっている白衣に目を落として言う。
「いらないわよ、で、でも洗って返すから」
「いいよ、その代わり、リタっちが着てみてよ」
「なんであたしが着なくちゃならないのよ」
「あれ? 着ようとしてたとこじゃなかったの?」
そう言われて、リタはすっかり乱れた衣服がレイヴンの視線にさらされていることに気付いた。慌てて直してみてももう遅かった。唇を噛んでにらむと、おそろしく腹立たしい表情でにっと笑ってみせる。
「わかったわよ! 着ればいいんでしょ!」
やけっぱちになって立ち上がる。しわの寄った布地を広げてばさりと羽織る。予想通り、リタには大きすぎて袖は余るし裾は床につきそうだ。
「……これでいいの?」
大きな布を羽織っただけで着たという感じがしなかったが、レイヴンは満足そうに頷いている。
「やっぱり似合うね、かしこいリタっちがもっとかしこく見える」
「こんなサイズの合わない白衣着てるやつをそんな風には思えないわ」
「じゃ、リタっち用の買う?」
レイヴンはソファに腰をおろして、リタのほうに手を差し伸べる。手をとると、膝の上に抱き上げられる。
「そしたら、おそろいね」
にっこりと笑う。とても楽しい予定のことを話すように。ざらついた頬に触れて、唇を寄せるとレイヴンの唇もリタの頬に触れた。頬から額、まぶた、鼻先にやわらかく落とされて、また唇を合わせる。
同じになりたい。同じところまで行きたい。触れあうたびにそう思う。けれど人間は同じものにはなれない。舌を絡めて、間近でみつめあって、こんなに体を寄せ合っても、同質の存在になることはできない。物理法則ではそうなっている。同じではないから、こんなにもほしいと思うのだろうか。
セーラー服をゆっくりとたくし上げられて、レイヴンの唇が乳房に這う。わずかなふくらみのまわりをなぞって、中心に近づいていく。
「あっ……!」
そして胸の先をぱくりと唇ではさみこむ。舌先でちろちろとくすぐられたかと思うと、ぬるりと包み込まれて、リタの体はびくびくと震えつづけた。
「やあ、そこ、ああっ」
「すきね、ここ」
「ん……」
レイヴンはたのしそうにそこを弄ぶ。リタがああ、と吐息をもらすたび背中を支えるレイヴンの手がより近くに引き寄せる。くり返し口のなかに吸い込まれて、ふたつともぬらぬらと光ってとがっていた。
太ももをやさしく撫でられるとぞわぞわとした感覚が背をのぼる。そっと指先でふれられた下着がもう役目を果たしていないのはわかっていた。ずっと熱くうずいて仕方がなかった。待ち望んでいた指がそこにしずむ。ちゅぷ、と音をたててレイヴンの指がリタの熱をかき回す。だんだんと奥へ侵入してくる。体の内側で指がばらばらに動く。くるくると円を描くように親指が突起を撫でる。
「あっ、はあ、んっ、ああっ……」
レイヴンのシャツをぎゅっとつかみながら、絶え間なく与えられる感覚にふるえる。背中を支える手のひらが煽るように撫で上げてくる。レイヴンのいつも着ているものに包まれて、レイヴンの腕のなかで、レイヴンの手で高みへと近づいていく。リタの体のなかでとてつもない快感がはじける。
「あ、ああああ……っ!」
頭の奥で白い光がひらめいてちかちかと瞬く。眩しくて痺れる。リタはレイヴンの胸にしがみついて荒い呼吸を繰り返す。大きな手のひらが髪を撫でるのが心地よい。自分でさわるのとはまったく違っていた。こんなに違うのはなぜなのか、スカートの中から出てきたレイヴンの手をきゅっと引き寄せる。
「リタっち?」
リタの手とはぜんぜん違う形をしている。ごつごつと節くれだった指が濡れて光っている。気がつけばそこに舌を這わせていた。舐めとるように、巻きつけるように、そして口のなかに招き入れる。レイヴンは目を細めてそれを見ていた。ちゅ、と吸い上げるとすこし顔をゆがめるのが面白かった。
「指、しわしわ」
やっとリタの唇から解放された自分の指を見て、へにゃりと頬を緩める。リタはシャツのボタンをぷちりぷちりと外して、胸元にくちづける。頭をやさしく撫でられる。ちょっと待って、と手で制されて、自分でベルトをゆるめて前をくつろげる。リタは腰を持ち上げて両手で白衣とスカートの裾を持つ。レイヴンの手が添えられて、ゆっくりと下ろされる。ぐっと体内に熱が入り込んでくる。少しずつ内側に侵入してくる。やっと腰を落としきって息をつく。
「大丈夫?」
「……へいき、よ」
しばらくぎゅっと抱きしめあったあと、どちらからともなく腰を動かし始める。レイヴンが揺らすからリタも揺れるのか、リタが揺らめくからレイヴンも揺らめいているのか、夢中でお互いの動きを追う。苦しげな息を吐く唇からのぞく舌にふれようと伸ばしあった。舌先を絡めて、また離れて、追いかけた。
「はっ、はあ、あ、んんっ、ああ……っ」
ぐちゅりぐちゅりと、かき回される音がする。体のなかで自分とはちがうものが重たくうごめいている。恐ろしいような、同時にどこか楽しくもあるような感覚に身をまかせる。ふるえが止まらない。
「あ、ああ……も、だめ」
「ん……」
リタが背を反らすと、腰を持ってぐっと突き上げられる。レイヴンが喉の奥から低い呻きをもらす。切なげな瞳がリタの姿を映していた。見つめられながら、リタは果てまで導かれる。
「はあっ、あん、はっ、あ、ああああ……っ!」
鮮烈な感覚に体が飛んでいくのがこわくてしがみつく。レイヴンの熱い吐息が額にかかる。一緒だ、そう思って両腕でぎゅっと強く抱きついた。ほのかな汗のにおいと煙草のにおいが混ざり合う。この部屋に来る前に一本吸ってきたのだろう、と思った。レイヴンの両腕もしっかりとリタの体に巻きついていた。強く、いつもよりも必死な力をこめて。
放課後の終わりを告げるチャイムが鳴る。聞こえないふりをする代わりに、まだ繋がったまま、額をレイヴンの汗ばんだ首元に擦り付ける。明日の予定や提出物などどうだってよかった。リタの体をつなぎとめる腕の力がゆるむのが怖かった。このまま明日のことなどなかったかのようにずっとここにいたかった。
けれど、十秒あとにはきっとレイヴンは口を開くだろう。そろそろ帰りなリタっち、と何事もなかったかのように剽軽な教師の顔に戻って、片付けをはじめるのだろう。それを少しでも先に延ばしたくて、リタはシャツ越しのレイヴンの背にぎゅっと爪を立てた。ささやかな抵抗が少しでも伝わったのか、レイヴンが耳元でそっと笑ったような気がした。